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宇宙の果てはどうなっているのか?真剣に考えてみる [宇宙の果てについて真剣に考える]

もぐらのもぐ相対性理論は少し距離を置き・・・・それこそ他人が執筆したものだと
思えるくらいに客観視しながら読めるくらいまで離れてみます。

もう一つのテーマも思考開始してみましょう。
その二つのテーマをぐるぐると思考して互いを高めてみることとしましょう。

もぐらのもぐ太陽活動気候変動研究プロジェクトチームは宇宙の果てがどうなっているのか?その解明が悲願であり圧倒的に壮大なテーマです。

ぱぱもぐそしてかえるさんは宇宙の果てがどうなっているか?突き止めることが最終目的であり、そこに僕も参加してみましょう。

今日は1時間ほど暇な時間があったので、宇宙の果てがどうなっているのか?それをどういうアプローチで迫るのか?最初の一歩目はどんな踏み出しにすべきか?つらつらと考えてみました。


あの本田圭佑選手も
人生で初めてボールを蹴った日があり・・・・
最初のキックはおそらくはポコンと前にただ蹴っただけでしょう。
しかしその後・・・・
何度も何度も蹴っているうちに
いつの日かワールドカップでシュートを決めた・・・・

僕たちもそうでした。最初は「黒点って何?」そんな程度の理解でした。
ですから宇宙の果てがどうなっているのか?
ぐるぐると、ぐるぐると考え続ければ
いつの日か解明できるかも・・・・!?

では開始しましょう。

今日の時点で閃いた事は・・・・宇宙の内側から考えてしまってはダメかもですね。

例えば・・・・・宇宙を真円の球と仮定し、その球が手のひらにのるサイズであるとイメージしちゃいます。

手のひらにのせた真円の球の内側に超大質量の宇宙がある・・・・・

そんな大質量の球が存在するとなれば・・・・その球の外側はどういう事になるのか?どうなっていないとそんな球が存在する事ができないのか?

要は外側の条件を想像していくアプローチもありなのかな?なんて事を今日は考えました。
脳内メモとしてこんなエントリを公開しておきます。

真円なり楕円なり手の平に乗っている球状のものの内側に宇宙がある・・・・宇宙の外側は『完全なる無』という事になっていますが、その『無』は壊す事が出来るはずです。というのは宇宙の果てにいき、その果ての極一部でも良いのでトンネル工事をするように細長く外側に宇宙を延長してしまったら・・・・・『無』という概念のつじつまが合わなくなってしまうような・・・・・トンネルの周囲は無でありながら無でなくなってしまう?んん?

極めて当たり前な事をしっかりと踏みしめていく・・・・ぱぱもぐかえるさん手法ですが僕もやってみましょうか。

宇宙の果てがあるとすれば・・・・
宇宙の外側というものは宇宙の寸法よりは大きい
これは間違いない事実ですよね・・・・

そう思い込んではいけませんが、しかし物理的に常識的にそれは間違いないと思います。

『無』という概念。
『無』の中に宇宙が生まれてしまった時点で、宇宙の内側つまり内寸はすでに無ではありません。
そしていくら周囲が無であると言っても宇宙側から距離が発生してしまう以上、もう無ではないはずです。宇宙が生まれた瞬間に『過去に無であった空間』であり、もう、宇宙が内在してしまったら無ではないはず・・・・・

とはいえ
宇宙の外が物理的な無であったとして・・・・
宇宙から外側に向かって距離を定義する事は出来るも・・・それはあくまでも数字上の距離であり物理的に距離が存在する訳ではないのかな?

もしも宇宙が二つあったとすると・・・・『無』という感覚がずいぶん異なるものになるのか・・・・

『無』・・・・・
つまりアインシュタイン博士が相対性理論で示した『時空』が存在しない空間ですよね。
素粒子が一切存在しない空間であり、時間も空間も存在しない。ここで気をつけなければならないのは精神統一などで用いられる『概念としての無』と『物理的な無』を明確に意識しなければなりません。



すると・・・・するとだな



そもそも論として完全なる無から宇宙は生まれないはずです。完全なる無でなければ無ではないのです。

完全なる無から素粒子は生まれないはず。もしもそんな事があれば正に宗教的なパワーが必要。
その前提を欠いたまま理解しようとしてしまうと、氷河期の理解がいつまで経っても宗教的な事象のように理解されたままだったように、前提をしっかりフィクスさせないで途中から入っちゃダメなのでしょう。

有と無はクッキリ分かれるもののはずですが、その中間となる概念が存在?いや、そんなことは無いか。それはないか。いや、これは保留だな。

つまり・・・・宇宙はどうして始まったのか?
そこを説明できればおのずと宇宙の果てはどうなっているのか?判明することになると・・・・
では、宇宙の果てはどうなっているか?それは起源をフィクスさせねばならない
そこが正しい一歩目になるのか・・・・・

つまりは・・・・

素粒子の発生
素粒子の発生=時間、及び空間、つまり時空の発生。

この前提があり

『無という空間。無とは?』
『その無から素粒子がなぜ発生したか』


この2点をフィクスさせればおのずと宇宙の果てについて解明する事になる。


今日はこんなところにしておきましょう。必死に考えていけばけっこういい線いけそうな気がしますね。


神という存在もまたよく考えないといけません。
現在地球上にある宗教は人類の発生と共に発祥しました。
人類が生まれる前に洞窟などに神が何か書き記していることはありません。
すると人類が思う神とは異なる超越した存在がいる可能性がありますよね。
否定はできません。
というのは、困ったことに現時点では無から素粒子が存在する事を最も有力なのは
超越した存在が作ったという理解です。
ですから宇宙とは超越した存在が自分の存在を示す為に作ったもので
人間はその宇宙で勝手に発生した存在である可能性があります。

じゃあその超越した存在っていうものは・・・・・あれ?きりが無いな

超越した存在が作った論はさっそく破綻。

今日はここまで。

とにかく正しい一歩目を踏まないと。とにかくぐるぐると考えて正しい一歩目を探りましょう。
そしてとっかかりさえ掴めば宇宙の果てがどうなっているのか?常識的な範囲で推定できそうですよね。

【追記20190717】
つまり・・・・宇宙の始まりとは?『無』というものの中から宇宙が生まれたという事が事実であれば
・・・・たった一つなりの素粒子が誕生した瞬間がスタートになる。

その素粒子がある時に瞬間的に生まれたという現在宇宙で起こっている物理の原理原則では説明しえないことが起きた。素粒子についてはいまだ完全に理解が進んだものではないが存在することは間違いない。

ビッグバン理論はよく考えると・・・・CO2人為的温暖化説のような、そもそも論を終えていない宗教的とすらツッコミがありそうな存在。そもそもそんな事が起こり得ないだろうことは間違いないのだけれども、なんとなくそうだろうということで、そもそも論をすることなく早期に勝手に納得してしまっている状況なのでは?科学界は法廷のように相手の主張の矛盾点を突いたり自分の主張の正当性を自問自答する感覚がわりと薄いのでは?失当だ、の一言で終わってしまうような研究を延々としている学者さんがいる。やはりそもそも論で前提をフィクスさせなければ正しい一歩目はありえない。
どんなに遠い道になろうが徹底的にそもそも論を行い最初の一歩目をフィクスさせるべき。もしも最初の一歩目をフィクスさせれば実はおのずとゴールまで進んでいけるもの。

0 = 0 

ゼロイコールゼロ。つまり本当の無は永遠に何も生まないはず。

宇宙の誕生はおそらくは二つの結論に達することになるのではないか?
Aシナリオ、Bシナリオと。

Aシナリオは誰かが意図的に現在われわれの前で起こっている物理世界を構築した。もちろんこのシナリオはそもそも論を完全に終えていない。ただしそういう事であれば最大の矛盾点を説明することができる。とりあえず現時点で無理に否定することはなく意識に置いておくべきだろうか。
ただしその場合の創造主は人類の間で有名な創造主とは異なることになるのだろう。太陽系内の地球という惑星に住む知的生命体のローカル思想であり、他の惑星に知的生命体がいればそこにはそこのローカル思想があることは想像に容易。

Bシナリオはゼロイコールゼロをとことん考えぬいた結果に見えてくるものだろう。

つまりAシナリオ、Bシナリオを共に真剣に考えぬくことになるのだろうか?

素粒子はやはり大きさがあるのだろう・・・・

どんなに小さくともそれが無から生まれた瞬間がある・・・・
たった一つであろうと素粒子が生まれた瞬間が宇宙誕生の瞬間。