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更新【提言有】戦艦大和の木造部品に関する考察 [木のはなし]

【はじめに】
戦艦大和の木造部品に関して、大和ミュージアム様に質問させて頂き、頂いた情報を元にこの論文を執筆しました。軍事機密として建造された物つくりの現場の痕跡を追う目的であり、国民のみんなで、知っている事を集結して、戦艦大和の実態に迫りたいという思いです。

論文を大和ミュージアム様にお目通し頂きました。ここに、大和ミュージアム様からの論文へのコメントを公開させて頂きます。

「戦艦大和木造部品に関する考察」興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。 戦艦「大和」については、残された資料も少なく、まだまだ、わからないことが多いのです。 この度は、韮澤様からの情報で甲板材について新たに気づくことができました。貴重な情報ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。大和ミュージアム運営グループ

韮澤より→台湾からの檜とベニヒノキを、ひっくるめて台湾檜と日本本土で呼んでいた風習がありました。それらを明確に理解し区別して解説していければ、台湾との友好関係がよりよいものになっていくと考えます。今後ともよろしくお願い申し上げます。この度はお時間を頂きましてありがとうございました。

では、こちらが論文になります。より多くの方が納得してくれるであろう常識的な内容となっております。より多くの事実を理路整然と解釈しなおした説と言えます。

■戦艦大和 木造部品に関する考察■

※大和ミュージアム様に送信させていただいた原稿を元により平易に校正した箇所がありますが基本的な内容は同じです。新たによりよい表現や思いついた事があった際は追記していきます。
最新の更新は2016.12.4
公開日は2016.12.23

なお、戦艦大和の木造部品においては、鉄鋼部品とは違った知識の会得が必要です。樹の産地や木材利用の歴史や背景などを探究していると、おのずと見えてくるものがあるのです。

【戦艦大和の菊花紋章の木材について】

2つの説が考えられる
★前提。菊花紋章のサイズは最新の映像からの推測。材種は不明。

その1・伝統工法(木組み)により継いだ“寄せ木”を用いている説(従来説)

※従来説をより正しく補強

現在、戦艦大和の菊花紋章(以降:菊花紋章)は、1200ミリ(約4尺)と推測されているが、小さな材を継いでから制作したと考えるのが、この、その1の説。

無垢一枚の板から彫り出した方が、木材の繊維構造を切断する事なく機能的にも有利であるが、なぜ、小さな材を継いだのか?

そもそも日本は奈良時代頃より木造建築物の建立や補修、大火や戦火による焼失からの再建、伊勢神宮の宗教的理由による定期的な新築などがあり、その度に各地の大径木を伐採してきており、太平洋戦争以前に、すでに大径木は枯渇していた。戦時下という事で物資の不足などは容易に想像できるが、そのことと、日本の古来からの木造文化における乱伐による枯渇は別のものとして理解しておく必要がある。

幅広の木材が採れる木になるには数百年以上が必要である。長さは数十年である程度のものに達するが、幅に関してはさらに時間が必要であり、木材の取引において、幅が数センチ違っただけで、価格が倍増以上になる事もあり、1200ミリの幅を確保できる大径木となれば、大変な価格になってしまう。木材の価値においては幅が重要視される。屋久杉の樹齢千年を越える材では、1センチの成長に50年も掛かっていたものを確認した事がある。成長が進めば進むほど、年輪の間隔が詰まるので、1200ミリを超えるという事はとてつもない時間が必要である。

現代において、例えばヒノキ材では、1200ミリの幅が採れるヒノキ材を買おうとすれば・・・・すでにそんなサイズは枯渇しているので、もしも、市場に奇跡的に出品されたとして・・・・末端価格では1000万円を越える価格になる。競りのゆくえ次第では3000万円以上にもなりえる。

しかし、400ミリ幅のヒノキ材を継いで制作すれば、ブランド産地のヒノキ材の高級部分を使わなければ、木材の価格は数十万円以下で抑える事ができる。当時としても、1200ミリ幅のヒノキ材と400ミリ幅のヒノキ材とでは10倍どころではない価格差があった事は各種資料や業界人の話から知る事ができる。

最終的には金箔加工されるものであるから、いくら無垢一枚板のほうが機能的に優れていたとしても、見えなくなるところに、10倍以上もの価格の差があることに投資するとは常識的に考えづらい。よって投資効果から考えて決定されたのではなかろうか。

帝国海軍にすれば、1200ミリ角の無垢一枚板で菊花紋章を作る予算を捻出する事は可能であろうが、戦艦大和建造プロジェクトにおいての予算と、菊花紋章への予算配分。そこが一つのポイントであるが、どれだけの予算が割り振られたか?おそらくは、無垢一枚板から制作するほどには割り振られなかったのでは?

日本には伝統工法がある。古い時代から、日本では木材を利用する技術が発達しており、世界最古の木造建築物の法隆寺が現存している事からも分かるが、木工の技術は世界トップクラスであった。それらの技術を用いて、大径木が入手できない状況下では、幅の狭い材を継いで、幅広の無垢一枚板の代用をしてきたのである。

それらの点と点が繋がり、1200ミリに至らない幅の材を継いで、菊花紋章が制作されたのではなかろうか。

では、技術的な事へ。

それなりの価格で仕入れられる幅の材を、伝統工法(木組み)によって、複数の材を継いで1200ミリの材を作り、すなわち“寄せ木”し、彫り出し、表面に金箔を施工したと考えられる訳だが、木組みとは釘や金物を使用せず組み上げる技術。常に多湿な環境である事を想定すれば、伝統工法を用いていて当然である。

なお、文献などでは菊花紋章は“集成材”を用いたと表記されている事が多いが、現代でいう接着剤で圧着した集成材とは趣が異なるので、伝統工法(木組み)にて継いだ“寄せ木”という表記が現代においては適切と思われる。※よりよい表記は要検討
現代の人に、集成材と聞いてどのような材をイメージするか?と問えば、接着剤で圧着した材を想像する者が多いであろう事が常識的に考えられる。

★クリック(タップ)で拡大

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ヒノキを用いていたとすれば、このような組手になると思われる。

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こちらが無垢一枚板に蟻くさび加工を行った様子

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匠の技により、寸分の隙間無く強固に木組みされており、海中にて70年以上経過しても原型を留めているように見え、継いだ箇所に大きな割けが無い事は、加工者の技を称えるべきもの。現代での集成材では、おそらくは分解しているはず。腕の良い職人さんが組んだものは人力で分解する事は不可能といえるほどである。

収縮が最大限少ない部位を集めて寄せ木する事も可能である。

用材の常識から考えれば、なんらかの樹種の材を2枚ないし3枚を継いだと考えられる。建材用語では、二枚ハギ、三枚ハギ、などと呼ぶ。

なお、二枚ハギにしても三枚ハギにしても、菊花紋章の裏側に、伝統工法(木組み)による反り止め加工を行っていると常識的に考えられる(上図の通り)。

樹種は耐水性から考えると、ヒノキかケヤキと考える事が妥当であると思われる。(戦艦陸奥の菊花紋章はケヤキ製と確認されている)

耐火性という観点ではどうか。表面処理は金箔張りと思われるが、ヒノキはそもそも引火性が高く、ヒノキの語源が火の木といわれるほど。ヒノキとケヤキではヒノキの方が火が着きやすいので、そのような理由からケヤキを用いる事は理に叶っている。

大和ミュージアム運営グループ様より >確かに現代は集成材というと接着材で重ねているものを想像してしまいますので、韮澤様の補足された文章や図があったほうがわかりやすいです。 韮澤より→ありがとうございます。世代により集成材という言葉からイメージするものが違うと思われます。大和ミュージアム様からあらためて世に伝えていってくだされば幸いです。正しくは“寄せ木”と当時の方は呼んでいたそうです

以上、従来の説をより正しく補強したのが、その1。

その2・台湾産の無垢一枚板を用いた説(新説)

現在、戦艦大和の菊花紋章(以降:菊花紋章)は、1200ミリ(約4尺)と推測されているが、実は当時の日本が、台湾より安価で大径木を始め良質の材を輸入するルートを確保していた事実が存在し、実際に戦艦大和の甲板材に用いていたので、では、そのうちの安価な大径木を用いて、無垢一枚板から制作したのではないか?と考えるのが、この、その2の説。

戦艦大和の甲板材(板張り部分)の材が、台湾産の針葉樹である事が、ほぼ間違いない事実である事を踏まえれば、菊花紋章にもまた台湾産の針葉樹が用いられた事は何ら不思議な事ではない。さらに、当時、台湾の針葉樹森には、日本では枯渇してしまった大径木が豊富にあった。

当時日本領だった台湾には、阿里山森林鉄道が敷かれ、台湾檜(たいわんひのき)や台湾紅檜(たいわんべにひのき)を平地へ輸送し、船で日本へと運ぶルートが確立され、本土へ届いていた。価格は本土産ヒノキの10分の1以下であったと伝え聞く。(現在情報を収集中)

約1200ミリと考えられる菊花紋章を、台湾産の大径木から挽いた無垢一枚板から彫り出した事も考えられる。細胞構造を切断しないで裏面に伝統工法にて反り止め(蟻くさび)を入れて使用すれば、より強固なものとなる。機能的な面からも何ら不思議な事は無いと考えられる。

(台湾檜と台湾紅檜の概要
台湾檜と台湾紅檜は、近縁種とは言われるが、実際には外見上もかなり異なる樹である。台湾檜の生態と葉は日本国内の檜に近い。台湾紅檜は、東アジア最大の樹(台湾政府見解)であり、胸高直径が10メートルを超える巨木に育つ。葉は日本のサワラに近い。ともに樹齢は1000年を越える。日本人の間ではそれらの材を混濁して理解されがちである。台湾では別の樹と理解されている。)

国産材で1200ミリの菊花紋章を採ることは至難な事であるが、2メートルを超えるような大径の台湾檜はそれなりに存在し、台湾檜から1200ミリ角の板を挽く事は何ら難しい事は無い状況であったと推察される。安価で大径材を仕入れられていたという事情もあり、予算的な問題はある程度緩和できていたはずである。

また、台湾ベニヒノキ(以降、読みやすさを重視し、台湾ベニヒノキと表記)は、東アジア最大の木であり、直径10メートルを超える樹に育つ。極論になるが、1枚の柾目材で1200ミリのサイズで挽く事すら可能である。赤身のみの柾目で1200ミリ角の板を挽くとなると、最低でも直径4メートルの樹が必要であるが、直径4メートルの樹を、当時、日本本土で準備する事は絶対に不可能とまでは言わないまでもかなり至難な事であるが、台湾ベニヒノキであれば、直径4メートル超の原木を入手可能であった事は想像に容易である。

台湾産の無垢一枚板を用いるメリットは、戦艦という用途を思えば、時には高熱に晒されることも想定され、伝統工法で継いだ材では、熱による収縮で木組みが緩むような事も考えられ、菊花紋章という大切な箇所に問題が発生するリスクがある。木組みは湿度による膨張にはむしろ強いが、不自然な急激な乾燥による材の含水率の低下で締め付けが弱くなってしまう事があり得る。入手出来るのであれば、ベストは無垢一枚板からの制作である。

さきほどの伝統工法の想像図を見て頂ければ分かることだが、台湾檜もしくは台湾ベニヒノキの大径木が入手できていたとすれば、あえて手間を掛けてまで木組みで作るだろうか。さらに無垢一枚板から彫り出したほうが機能的に優れるわけで、そのような意味においても、無垢一枚板での制作はありえない事ではないと言えるのではないだろうか。

なお、無垢一枚板から彫り出したとしても、必ず、伝統工法(木組み)による反り止め(蟻くさび)を、菊花紋章の裏側に組み込んでいると用材の常識から推察される。寸法と用途を踏まえれば、反り止め加工を行わない事はありえないとまで言える。船体側に、鉄製の反り止めがあり組み込んだという事はありえない。材が割れてしまう。


「その1・伝統工法(木組み)により継いだ“寄せ木”を用いている説」は、あくまでも日本国内にて大径木が枯渇していた事を前提にしている訳だが、甲板材に台湾産の材を用い始めた事実が確認されている以上、菊花紋章にもそれを用い始めた事は絶対にありえない事だとは言い切れないのではなかろうか。

慎重に言葉を選ぶと、詳細な情報は限られ、確定的な情報が無い以上、可能性を排除できないのが無垢一枚板説ではなかろうか。

なお、一般的に、伝統工法(木組み)の技を用いていようと、継いだ材と無垢一枚板では、様々な意味で無垢一枚板のほうが立派であり高級である。

例えば、「大きなお屋敷があり、フルサイズの床の間があったとする。その床の間の地板が、継いだ材では興ざめである。そこは贅沢に一枚板であるべきだ」と、そのような価値観は、木材業界の者や木工職人は理解している。すると、菊花紋章も、幅広の無垢一枚板から彫り出したものを作り出せないか?現場の職人が考えないはずがない。

当時の国策や世相からすれば、戦艦大和の最重要部位であったと言える菊花紋章を制作する際、より立派な菊花紋章にしたいと思わない訳がないのである。金箔に覆われて木目が見えなくとも。

機密扱いで建造されていた大和の部品である。おそらくは、何に使うかは職人には知らされず、菊花紋章だけを抜き出した図面が渡されたのであろう。その時、どんなやりとりが、帝国海軍の担当者と交わされたのか・・・・。

以上、戦艦大和の菊花紋章の木材についての考察を終わる。常識的な考察を積み重ねてみた。



個人的な見解としては・・・・

→これが現実か
伝統工法にてケヤキを3枚ハギで。反り止めをステーとして利用し、しっかりと船首に固定されていると考えている。おそらくは、それなりの仕事を納めてきた宮大工が制作したのではないか。
台湾産の針葉樹を継いで制作した可能性も。

→ファンタジーとまでは言えない
台湾産の大径針葉樹にて、無垢一枚板から彫り出し、裏側に反り止め加工。反り止めをステーとして利用し船首に固定されている・・・それもまた素晴らしいと考える。
当時を知るご年齢の皆様の話では、当時は小学校の校門に、天皇陛下の写真があり、最敬礼をして登下校していた。もししなければ大変な目に遭った。そして菊花紋章もまたとてつもなく大切なものとして扱われていた。現代からは想像できないような、本当に本当に大切なものだった。それを思えば、入手できるのであれば、無垢一枚板説もありえなくはないのかもしれない。正直、どちらの説もありえるだろうから、NHKにでもメールして、番組作ってもらえば?ワッハッハと仰っておりました。

前者でも後者でも、収縮、膨張により金箔が剥がれたりヒビ割れないように、材の全体を、表面処理として漆などで覆い、材の呼吸を止め、最大限体積を変化させないように努力していたと考える。
1200ミリもの大きさとなれば、0.5パーセントの収縮でも6ミリも動いてしまう事になる。


★尺かミリか?
現時点で詳細な寸法が判明しておりませんが、当時、宮大工さんを始め多くの木工職人さんが尺スケールでものつくりをしていた。船体はミリスケールで設計製造されていると推察されるが、菊花紋章もそれにならっているのか?もしくは、職人さんの道具などの事情から尺スケールで制作されているのだろうか。

【戦艦大和の甲板材(板張り部分)についての考察】

書籍、インターネット上において、戦艦大和の甲板材(板張り部分)に、台湾檜が用いられたと解説されているが、当時より、日本において、台湾檜と台湾ベニヒノキを混濁して利用していた事実がある。

戦後の資料となるが、昭和49年に日刊林業新聞社が発行した“銘木要覧”でも混濁が確認される。以下一部引用する。銘木樹種の解説43ページより。
「たいわんひのき:台湾に産す。樹高四〇m、胸高直径一二mにも達する」
台湾檜は、直径12メートルに至る事はありえないが、台湾ベニヒノキはそのような大きさに達する事から、業界向けに刷られた専門書ですら、台湾檜と台湾ベニヒノキを混濁している事が伺える。

当時、木工に関わる職人でも、それなりに目利きが利く方でないと、見分けできなかったと伝え聞いている。
台湾から輸入してきた大径材は特に区別しないで台湾檜と呼んでいた輸入業者がいたとも伝え聞く。
ここで証拠を多く積み重ねるまでもなく、日本の木材業界や大工の間では混濁していた様子を伝え聞けるものである。

戦艦大和に関する詳細な情報は限られ、甲板材の材種の詳細も残されていない実情において、台湾檜と言い切れる状況にない事が、木材業界や職人さんらの話から容易に推察出来る。

台湾檜と台湾ベニヒノキを相対的に比較すると、台湾ベニヒノキの方が耐水性に優れている事から、適材適所という用材の基本を踏まえれば、戦艦大和の甲板材に、台湾ベニヒノキを選択する事は常識的にありえる。

日本本土において台湾檜のほうが高値で取引されていた事から、台湾檜を高級材とみなしていた事実が存在するので、価値という基準で採用していれば、台湾檜を選択していた事もありえる。

両方を利用していた可能性も排除できない。

第一級の資料が発見されるまでの間は、どちらであったか断定すべきではない状況である。
これまでは甲板材は台湾檜を用いたと解説される事が多かったが、以下のようにあらためるべきと考える。

「戦艦大和の甲板材は、台湾産の針葉樹を用いていた事はほぼ間違いないと考えられており、その材種は台湾檜か台湾ベニヒノキであったと考えられる」

以上のような解説が、歴史背景や当時の実情を踏まえ、より慎重でありより適切になると考える。

材としては似ていても、台湾人の皆様にすれば、まったく別の樹であり、今後、台湾の皆様にも配慮し、台湾檜、台湾ベニヒノキを明確に理解し区別して解説していく事が望まれる。

なお、参考として1934年(昭和9年)三省堂発行の学習百科事典(自己所有品)の“ヒノキ”の解説を一部抜粋すると、「木曽・阿里山に良材を産する」との解説がされており、日本のヒノキとは別種という解説がなされていない。ベニヒノキという項目はない。当時は情報が少なく学習辞典は貴重な情報源であったが、三省堂のかなり気合の入った学習百科事典でもこんなレベルの理解。“タイワン”の解説内では高雄にヒノキが多く阿里山は殊さら良い材が産出されるとの解説。当時は日本領だったこともあり、台湾産の材が入手し易い状況だったことがこの書籍からも知ることができる。

以上、戦艦大和の甲板材に関する考察を終える。 

執筆者 にらさわ、やすおみ

2016年11月28日


【補足】
台湾では、一般的に、台湾ヒノキを、台灣扁柏と表記。日本のヒノキと生態として似ているので台湾ヒノキと名付けられた模様。木材としての台湾ヒノキは、日本のヒノキとは芳香が異なる。私見であるが、日本の天竜産の天然ヒノキ材と似たような堅さや脂分であるという印象を持つ。

台湾では、一般的に、台湾ベニヒノキを、紅檜と表記。葉は日本のサワラに似ている。材としては日本のサワラよりも加工し易く耐水性が高い。日本人にすれば、ベニヒノキというよりは、ベニサワラと名付けられていた方が理解し易いかもしれない。

参考動画
http://youtu.be/N1teH0Zqyhs
日本にある台湾ヒノキやベニヒノキのデッドストック材を買い付け、自国に買い戻す趣味をされている台湾人のお爺さんの動画。福岡の業者さんから買った台湾ヒノキの原木は日本円で三千万円との報道。


【感謝】
この論文を大和ミュージアム運営グループ様にお目通し頂いております。
この論文を執筆するにあたり、川越銘木センター竹田氏にアドバイスを頂きました。
伝統工法(木組み)については、河野秀明棟梁(川越市石田町)に実演して頂きました。




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