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【追記有】日本文化の基幹。八百万の神について淡々と [木のはなし]

★追記あり。末尾にて

とある案件にて、八百万の神(やおよろずの神)について、考える事がありました。

我が国(日本)にある、周囲の多くのものに神様が宿っているという考え方です。思想とも言いますね。

そしてそれは神道の思想であります。

ものに精神性を感じる。それをもって神が宿っていると感じる。

すなわち、精神性=神。神=精神性と、神道では言えるのでしょうか。
※ただし精神性を感じる全てのものを神と昇格させる訳ではない。
※精神性を感じる存在と神とを明確に区別する必要がある場面もある。
※日本における神とは目に見えるものではなく精神性のようなもの。神を判定する明文化された判断基準はなく、そもそもあやふやな存在である事を理解しておくことが重要。


世の中には、宇宙や人類を作り、滅ぼす権限や力まで持っている、圧倒的に絶対的な存在を神とする考え方や思想もありますが(唯一神)、我が国における神は身近で周囲にあふれ、よほど悪さをしなければ祟りにあう事はありませんし、必死にお願いすると進学や就職の際にちょっぴり支援してくれる存在です。

そんな考察を基に、周囲の物に精神性(神)を感じる事だけでなく、今日は、物に精神性(神)を籠める事も八百万の神の思想から生まれた考え方や価値観なのであろう。というお話をしていきます。
そしてそれが巨大な建築物や建造物である場合は、精神性の中心となる部位があるものだ、というお話もしていきます。






陸上自衛隊の新型戦車「10式戦車」の量産第一号となる初号車が納車された際、入魂式が行われた様子が報道されましたが、八百万の神の考え方がある国民性らしいなと思った記憶があります。モノに精神性(神)を籠めようという考え方です。(シンゴジラで登場していた戦車ですね。ターゲットを固定したまま、走行しながら主砲を射撃できる)

10式戦車(ひとまるしきせんしゃ)の入魂式ですが、日本は政教分離の国となりましたので、あくまでも部隊マークを描き入れる事をもって入魂したという事になっておりますが、太平洋戦争の時は、例えば戦艦武蔵は、さいたま市の武蔵一宮氷川神社が分祀したミニ神社が艦橋にありました(過去形でいいのかな・・?問い合わせてみましょう)。
神の居場所を戦艦内の艦橋に作ったのですから、戦艦武蔵には精神性(神様)があり、精神性の中心が艦橋のミニ神社にあるという理解で良いと思います。

遠くから眺めて武蔵に手を合わせて良いわけですが(仮の話です)、乗艦してから手を合わすとなると艦橋へ上がって艦内のミニ神社に手を合わせる事になるでしょうから、精神性の中心は艦橋にあると言えるわけですね。

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画像はネットで見つけたものですがメーカー側が準備した神事だと思われます。イメージ画像という事で。戦闘機の精神性となる中心部分ってどこでしょうか。CPUとかですかね。

僕は、仕事の一つとして木製のオモチャ作家もしておりますが、生きている樹や木材である銘木に、精神性を感じる方が多くいる事を知っております。

生きている大木に精神性(神)を感じる方が多いものですが、それは無意識的にでも八百万の神の考え方があるのでしょう。

大木に精神性を感じる場合は、枝や葉ではなく幹に対してですよね。幹の内側に精神性があるような思いに至る。だから、樹を伐採し木材として利用した時に、材に精神性(神)を感じるのでしょう。

明文化されたものはありませんが、大木(樹)の幹に神様が宿っていると言えるでしょう。おそらく、千人の日本人のうち999人くらいがそう考えているでしょう。大木(樹)の精神性の中心は幹と言えますね。

木材といえば・・・・

現在の家は、手抜き工法というか、バンバン素早く建てていってしまいますが、昔は、大工さんが手工具でネチネチと作り込んでいき、大黒柱に高級銘木を据えるなど、そこに精神性(神)を籠めていたのだと思います。家にも精神性を籠めているし感じてしまう国民性だったのですね。

日本に伝わる伝統工法で、精神性(神)を籠めて建てた家が、和風建築と言えると思います。

確かに、伝統工法で建てた家には精神性(神)を感じますよね。それに代わり、新建材で無垢材を使わずにバンバン建てた家には残念ながら精神性を感じる事はありません。

そして、和風建築の最も大切な場所というのが、床の間なんだそうです。さらに、床の間の中でも中心となるパーツが床柱なのだそうです。

ですから、和風建築の精神性の中心の中心は、床柱だと言えるそうです。川越銘木センター竹田社長と話しました。

すなわち床柱に高価な銘木を据えたりするのは、精神性を高めたいという思いからなのでしょう。

床の間ってなぜ、床柱なる周囲の材とは異なるものが据えられているか謎だったのです。和の考え方だと、周囲のものに揃えるという基本がありますよね。和をもって福となす。です。しかし床の間の床柱は周囲と異なる材がドンと据えられている事が多く違和感を感じていたのですが、なるほど。精神性の中心となる、すなわちそこに精神性が籠っているという考え方が無意識的にでもあったわけですね。そう思うと確かに、安い材ではちょっと気分が高まらないですよね。

樹齢3千年超えの屋久杉のテーブルなんて、本当に神が宿っていそうなオーラが出ていますからね。

僕は、樹齢100年を超えるような盆栽に精神性(神)を感じてしまいます。それも八百万の神の思想なのでしょう。

僕は、無垢材で木のオモチャを作ってきている訳ですが、動物を作るのが好きです。精神性を籠めやすいからです。


今日はこんな事をつらつらと考え込んだ日となりました。

★追記2017.11.24★
今日は川島町の遠山記念館内の遠山邸の見学に行きました。学芸員さんがいらっしゃり、なんと、二時間弱ほどマンツーマンで解説してくださりました。これは幸運だ!

遠山邸とは和風建築の築約80年の邸宅であり、延べ人数で数万人の人工を使い、全国から集めた銘木を使っているのですが、一見は質素に見えるように建ててありますが、よく見るとあちらこちらに職人さんの技が溢れており、和風建築が好きな方にすれば「圧倒的。別次元」と言われます。入場料500円で庶民では本来立ち入れないような豪邸に入れてしまいます。

さて、東棟、中棟、西棟とあり、中棟は応接間となっており、皇族の秩父宮さまもお寄りになったという応接間が中棟です。

遠山邸には床の間が7か所あるそうですが、その中でも中心となるのが中棟の18畳間にある床の間であり、床柱は北山杉の絞り丸太です。その床柱の中心線の真南には庭の槇(マキ)が植えられており、線で繋がるようになっているとの事です。そして屋根の中心線と床柱の中心線も繋がっているそうです。学芸員さんに、僕のこの記事で考察していた事を聞いて頂いたのですが、おおお・・・・それはそうですね。確かにこの建物に精神性があるとすればここの床の間の床柱になるでしょう。そのような意図があるでしょう。との事。

精神性・・・・なるほどと、思いに耽っているご様子でした。「この18畳間の床柱はこの遠山邸の精神性の中心です」こんな一言が解説に加われば、建物全体の印象がグッと上がると思うけどなあ・・・

でも、そういう事を自分で気づき、遠山邸の施主さんと同じ景色を見た時の感動ってあるのか。自分で見つける事って大事か。

僕はすぐに床柱の前に座したのですが、学芸員さんが追ってこんな事を。「ちなみに、その床柱の前に座し眺める庭の景色がこの邸宅の最高。吉田茂氏も訪れてすぐにその床柱の前に座し庭を眺めたそうです。」

今日は天気がよく、床柱の前に座し眺めた景色は壮観でした。


我が国に伝わる価値観や精神性を基に、伝統工法を用いて建てたものが和風建築。こう言えますよね。瓦がどうのこうのとか、門がどうのこうのとか、それは各論であり、和風建築を売る工務店さんは各論から入ってしまっていますよね。精神性から伝えなければ本当の魅力を伝えていない訳ですよね。神髄ってやつですね。


★おわり★
少し掘り下げると、日本人がモノづくりにおいて細部にまでこだわるのは、モノに精神性を籠めたいという願いのような心情が潜在意識の中にあったでしょう(過去形にしてしまいましたが)。

海外の方は、日本人は擬人化が大好きだと驚きます。製品や商品、戦艦などまで擬人化する訳ですがそれもやはり物にも精神性や神が宿っている八百万の神の思想や考え方がある国民性の国らしい文化なのでしょう。


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樹齢200年を超えるであろう川越市下小坂のケヤキ様。精神性(神)を感じますね。





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